建築家 白井晟一
私の好きな建築家に、白井晟一(しらいせいいち)という人がいます。
佐世保市 親和銀行本店や港区飯倉にあるノアビル・渋谷 松涛美術館などが代表作であり、丹下健三氏(代表作:東京都庁)と同世代の建築家ですが、丹下氏と全く対角的な生き方をしてきた人だと感じています。
当時、施行されたばかりの「一級建築士」という国家資格。
実績のある設計者に対しては無試験でその資格が与えられました。
丹下氏の様な著名な人物が持つことは、資格にハクをつける為の意味もあるからです。
白井晟一は、「一級建築士」を持っていません。
政治的な色がある物への拒否感があったのでしょう。「一級建築士」の資格第一号は田中角栄氏であり、そもそも彼がこれの生みの親だからです。
白井晟一は、哲学家でもありました。
日本よりも海外でその奇才を認められた人物で、簡単に言えば「変人」です。弟子を一人も持たず、自ら設計した自宅にはトイレがありませんでした。彼の奥様はさぞ困った事でしょう。
17年前、設計に10年間を費やしたという彼のこの作品、親和銀行本店を一目見るために長崎県佐世保市へ行ったことがあります。世界中の建築家を目指す学生達がここに来ると言います。銀行も心得ていて、館内を保安上問題のない見学ルートを用意しており、記帳名簿には外国の人達の署名がびっしりと書かれていました。
とても銀行とは思えない空間がそこにありました。石積みの塔を思わせるコンピューター棟やアーケードの屋根で見えなくはなってしまった本棟の中には、佐世保の町が展望できる、まるで船のブリッジのような大会議室や純日本家屋の数奇屋作りの茶室、親和銀行所蔵の美術ギャラリー。更に清涼感あふれる滝が流れていました。
親和銀行 本店
職人泣かせな仕事だったろうと思える納まりや素材が目に付きます。 でも実際は、職人の誰もが白井晟一を信頼していたと聞きます。
彼は、本物を造る事への情熱を注ぎ、職人はその「本物」をこの世に存在させようと応えました。
この本店が竣工し、親和銀行頭取が建物の壁に「白井」の名前を刻みたいと申し出たとき、白井晟一は、この建築に関わった全ての職人の名前も刻んで欲しいと答えたそうです。
私たち物造りを営む人たちの心情として、創り上げる物は全て自分の分身であり、大切な子供のような感情を移入させることがあります。辛ければ辛いほど、気持ちがこもってしまいます。
私も72時間一睡もせずに仕事をしたことがあります。
まる2週間、風呂にも入れずに現場で寝泊りしたこともあります。
誰もがみんな、しんどかった経験が必ずあります。でも、やっぱりみんなこの仕事がやめられません・・・。
白井晟一が亡くなった時、彼の葬儀は、多くの職人たちが代わる代わる争うように棺を担ぎあって喪に伏せたそうです。私も担ぎたかった・・・
秋田県湯沢市秋ノ宮にある稲住温泉の離れ(これも設計に10年掛かっています)